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「武宮正樹」||FX-master.com (05/27update)

武宮正樹 wikipedia|無料辞書

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武宮 正樹(たけみや まさき、1951年1月1日 - )は、囲碁のプロ棋士、九段。名人1期、本因坊6期など。東京都出身。日本棋院所属。本因坊時代の雅号は当初「秀樹(しゅうじゅ)」であったが、2度目の獲得以降は「正樹(せいじゅ)」と改めた。また世界選手権設立当初に活躍したため、「世界最強の男」の異名を取った。
中央に大模様を作る厚み重視の棋風で知られる。模様に侵入してきた相手を攻め、時には取ってしまう戦闘力にも定評がある。また天才肌の打ち手で、綿密な棋風というよりも感性の棋風と呼ぶこともできる。田中三七一木谷実に師事。尊敬する棋士は藤沢秀行名誉棋聖など。同じ木谷実門下の石田芳夫加藤正夫と並んで木谷三羽烏と呼ばれた。プロ棋士の武宮陽光は長男。

◆棋風
先番では三連星を愛用し、よりも中央での展開を重視した独特の感覚から作られる大模様作戦は宇宙流と呼ばれファンも多い。一方、白番二連星から柔軟に展開される模様にこだわらない流水のごとくしなやかな碁は自然流と呼ばれ、プロ棋士の間で評価が高い。
韓国の李昌鎬は武宮を「宇宙流は布石の第2革命と呼ぶべきであり、彼は世界の碁を一人で変えてしまった」と評している。また中国の江鋳久も「アマチュアが強くなる秘訣は、武宮先生の碁を並べること」と述べるなど、独創的なそのスタイルは世界でも極めて高く評価されている。

◆人柄
棋風のみならずその人柄も親しまれ、テレビ解説でみせる人懐っこい話し方からもその性格は窺える。その陽気な性格から、当時名人だった小林光一の棋風を地下鉄と揶揄したり、「三々に打つと碁盤から落っこちそうだ」などと発言したりと数々の逸話を持つが、周りに嫌われる事も無く、日本の棋士中でも特に人気の高い棋士の一人である。
趣味はゴルフバックギャモン、歌、麻雀などと多彩で、いずれもプロ級の腕前という。特にバックギャモンにおいては、三大タイトルの一つである盤聖戦で、第12期盤聖となった(2005年)ほどの腕前を持つ。また歌については「鷺と烏のラブゲーム」でレコード(CD)デビューもしている。近年はダンスもし、タンゴルンバを踊る姿がテレビで紹介されたこともある。能書家でサイン色紙には「遊神」「宇宙流」「鮮雲」等をよく揮毫する。交友関係も広く囲碁界随一。

◆ 履歴
1962年 11歳のとき、田中三七一に師事。日本棋院院生になる。
1964年 13歳の時、プロ試験合格。
1965年 木谷実門下に入門。入段。
1968年 三段でプロ十傑戦の8位に入賞し、「十傑戦ボーイ」と呼ばれる。
1971年 初のタイトル首相杯争奪戦優勝
1976年 石田秀芳本因坊を破り、本因坊を獲得
1988年 世界囲碁選手権富士通杯優勝
1989年 富士通杯優勝
1995年 名人位を獲得

◆ 七大タイトル獲得数
本因坊 6期 3度の本因坊獲得は史上唯一。
名人 1期
十段 3期

◆ 記録
・ 首相杯争奪戦優勝2回(1971年、1973年)
・ NECカップ優勝2回(1982年、1986年)
NHK杯優勝(1989年)
・ 世界囲碁選手権富士通杯2回(1988年、1989年)
テレビ囲碁アジア選手権戦4連覇(1989年〜1992年)
・ 早碁選手権優勝2回(1978年、1989年)
・ 鶴聖戦優勝(1990年)
2006年2月9日 通算1,000勝達成(史上8人目)
  ・その他の記録として、1988年の本因坊挑戦手合第5局において、一手に5時間7分の大長考をしたことがある。これは持ち時間制導入後最長記録。結局打たれたのは大ナダレ定石の何の変哲もない手であった。局後武宮は「僕は定石を知らないもんだから。それに読むのが楽しくなってきちゃって」と笑って語った。
  ・2003年名人リーグでは、張栩相手に121手で終局(敗戦)。それまでの作り碁の最短手数記録(136手)を大幅に更新する新記録を打ち立てた。

◆宇宙流布石
依田紀基戦。右辺が武宮の得意とする三連星からのコスミ、通称「牛角三連星」。黒15の肩ツキが武宮特有。この後白22の侵入には隅の地を譲り、黒33のカケに回ってあくまで中央を広げる作戦に出た。四隅を与えたものの中央のスケールで圧勝。